2002年07月10日
考えるということ自体が難しい話だが、
人(生物)はどこで物事を考えているんだろう?
普通は頭と思うよねえ。(思う、ってどこで?)
「頭使って考えろ」とかよく言うし。
俺も頭で考えているような気がするにはするけど
どうなんだろうね?なんでだろうね?
脳があるからか?
生きていく時に重要であり
考える事件の発端の五感、
視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚のうち
4つは頭にあるし、残る触角も
例えばタバコを手にとった時、
タバコを触った感触もあるけど
たいてい同時にタバコを見てもいるし、
それでタバコをつかんだと頭で考えてる
錯覚に陥ってるということはないかなあ。
例えば不慮に押しピンを踏んでしまった時、
痛覚は足の裏にあり、
漠然と「痛い!」と思う。
あの時、脳で「痛い」と思ったかなあ。
細胞ひとつひとつが独立して考えて行動している
という小説(ドグラマグラ)があります。
意外とそうかも知れません。
野球のボールが頭めがけて飛んできた時、
怪我しないようにと考えて
よけたり、手で守ったりするけど、
まず脳が考えて手の筋肉を動かすのかもしれんし、
ボールが当りそうな場所にある細胞が守ろうと考えて
脳を通して手の筋肉の細胞を動かすのかもしれん。
俺が死んだら俺の細胞は全てどうしようもなくなるので
俺の細胞全ての利害関係は一致しているし、
なんともそうかもしれません。
生まれて間もない生物の本能というのがある。
まっさらな脳でどうやってあんな行動を考えつくのか。
ひょっとすると最低限の知識入力済みで生まれるのか?
それなら何故ひまわりは太陽の方角を向くのか。
やっぱり脳で考えてるんじゃないかもしれん。
そうだとしても全細胞の意見を出し合う会議は脳だから
人間・俺としては頭で考えてると言ってもいいか。
でも悲しくてやりきれない時、
脳が痛くならないで胸が痛くなるのはなんでだろう?
脳は見たもの聞いたもの考えたもの全てを記録します。
これはきっと正解でしょう。
そして日常に必要・不必要とか整理したりもします。
昔、全長何十メートルもあって、
首を立てれば5階建てビルと同じくらいで、
口の中に人が立って入れるほどの最大の
草食恐竜がいて、
その脳みそはゴルフボールの大きさだったそうです。
すごいよねえ!なんてやつだ(笑)。
やっぱり細胞がいろいろ考えてるんじゃないかなあ。
人間は何のために生きてるのかなんて考える気なくすよ(笑)。
(まあ、小さい頃からその疑問は愚問だとは思ってたけど。)
その恐竜はゴルフボールの何%を使ってたんだろうね。
人は3%ぐらいらしいけど、残りはなんなんだろうね?
脳が記録を貯める場所だ、と限定して考えると、
単細胞生物はもちろん細胞で考えて生活して、
多細胞生物に進化してもまだ細胞で考えるだけで
生活はできて、
進化して細胞だけでは整理できなくなったりして
100パーセント使用する脳ができて、
進化して今までの進化の過程の記憶を残す為に
(細胞には遺伝子という記録が残ってますから、
例えばそれをいったん整理したりして)
さらに生きるのに不必要な情報も破棄しない為に
使用する脳のパーセンテージが下がってきたの
かもしれん。
誰かうさぎと亀がそれぞれ脳を何%使うか知ってますか?
それがわかればこの仮説も考え様があるんだけど。
学者は知ってるのかな?
そもそも人が3%しか使ってないというのは正しいのかな?
しわの数は生まれてから仕入れた情報とか
新しく考えついたりした量で、
プルプルしたとこにも本能とかいろいろあるんじゃないかな。
植物はいくら大きくなっても移動しなくていい。
目もないし、増える情報が動物に比べてかなり少ない。
いつまでも脳はできないかもしれない。
だとすればやっぱり細胞で考えてるのかもしれないし、
考えてないのかもしれない。
脳で考えようが細胞で考えようがどっちでもいいが、
基本的に考えるということは、よりよく生きる為だ。
つまりは最低限の生きるすべ以上は
楽しむ為か楽しい状態になる為だけでいい。
性格的に個人差はあるのは当たり前として、
心の底から(脳・細胞の底から)がっかりする必要は
死ぬ直前にあるかないかでいいんじゃない?
話は変わるけど、今回のテレビブロスの
「ネット探偵団」のコーナーで、
この、俺らが日記を書くのに利用しているサイト、
「BLOGGER」を取り上げてたよ。
新しいジャーナリズムの形らしいです。そうですね。
インターネットによって、そのうちもっと世界の生活が
変わるだろうね。
脳みその、日頃・全く不必要に整理するであろう情報を
いつでも取り出せるんだもんねえ。
俺らの脳みそは無限のハードディスクを手に入れた。
さて、何をしよう。